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    “あい”ちゃんと、この愚かな私について その三
    “あい”ちゃんと、この愚かな私について その三

    いきものがかり

    “あい”ちゃんと、この愚かな私について その三

     2025年12月10日に“いきものがかり”がニューシングル「生きて、燦々」をリリースしました。タイトル曲は、TVアニメ『キングダム』第6シリーズのオープニングテーマです。作詞作曲水野良樹、編曲を島田昌典氏が担当。視聴者から“アニメの世界観にぴったり”との声が多数寄せられております。    さて、今日のうたではそんな“いきものがかり”の水野良樹による歌詞エッセイを3週連続でお届け。今回が最終回です。少年時代、国語の授業で自身に余韻を残した、三好達治の「雪」という作品。この詩ならではの“表現”とは。そしてそれはAIが創造できるものなのか…。ぜひ、最後までお楽しみください。 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。   三好達治の「雪」である。   小学生のときだったろうか。国語の授業のなかでこの詩が出てきて感銘を受けた。もちろん、当時子どもだった私に「感銘を受ける」なる状態がどういうものか、十分に理解できていたはずもなく(おそらく大人になった今も雰囲気で言ってしまっている。つまり、上記も雰囲気で書いた)、実際のところは「おぉ……わぁ……はぁ……へぇ……」という感じだったと思う。   同じ授業のなかで、草野心平の「冬眠」も黒板の上に並べられていたかと思う。今、思い返してみれば、生徒たちに詩における自由度を伝えるような授業だったのかもしれない。たしかに「冬眠」には子どもにもわかりやすい、読者を「ハッ」とさせるような驚きがあった。丸い点だけが黒板に書かれ、「これが世界で一番短い詩です」と教師がいささかドヤ顔(これも記憶から引き出した推測だ)で言い放ったときは、自分だけではなく、一緒に机を並べていた友人たちも「ええ!」と声に出してびっくりしていた。実に小学生らしい、おもちゃ箱をひっくり返したようなざわめきが教室内にあふれていた。正直、おもちゃ箱をひっくり返した経験はあまりないのだけれど、笑い声も含んだ楽しげな反応がそこには生まれていた。   この「冬眠」と出会ったときの驚きは、のちに大人になってジョン・ケージの「4分33秒」の存在を知ったときにも、同様のものを感じた。「そう、きたか」とでもいうような、自分たちの固定概念の外側から不意にボールを投げられて、たしかにそう考えることもできるよな!と、認識がリフレッシュされるような爽快感があった。もちろん専門家が深く読み解けば、「冬眠」にも「4分33秒」にも、そんな表面状の「アハ体験」以上の意味解釈ができるのだろうし、安直な「おもしれー!」にはとどまらない豊かな批評が、それぞれの作品を前にして語られうるのだとは思うけれど、さすがに年端のいかない小学生たちは、目の前のポチっとした黒い点を「詩だ」と言われてしまうと、突如として現れた「おもしれー!」のまぶしい輝きに夢中になってしまい、次の瞬間には黒板を指差して「それはズルいと思います!詩はもっと何文字か、使うべきだと思います!」などと、まるでじゃんけんで後出しされたときのように唇をとんがらせて、ふざけて騒いでしまっていた。教師はそれをなだめながら、詩の自由さや、この作品の深みを真剣になってそこで説くわけだが、子どもたちはもう面白がってしまっていて、困り顔の教師を「ズルい!ズルい!」とからかって、あとはわちゃわちゃと楽しく時間が過ぎていった。   だが私は、友達連中と一緒になってそのからかいに参加しながらも、その前に紹介された三好達治の「雪」の余韻のようなものを、頭のなかで消すことができなかった。「おぉ……わぁ……はぁ……へぇ……」はまだ続いていた。なんか寒いなぁ。なんか暗いなぁ。なんか静かだなぁ。などと感じながら。おっかしいな、なんか、不思議だなぁ。   太郎や次郎が眠る家屋の屋根が、映像として思い浮かぶ、とか。 しんしんと雪が降り積もる静かな村の寒さを肌に感じるようだ、とか。   大人になって、当時の記憶を再生して、それ相応に言語化することはできるのだろうが、この言語化にあまり意味はないし、極端な物言いかもしれないが、この場合、今さらの安直な言語化はしないほうがいい。「大人の俺、喋るな」と言いたくなる。「まじでいらんこと言うな、お前。黙ってろ」と言いたくなる。「そもそも、このコラム、他のひとの記事を見たら、みんな数百文字くらいじゃないか! 5000文字超えってなんだよお前! いくら歌ネットさんが優しいからって調子にのるな!」と言いたくなる。   あのときの、まだ純朴だった、このコラムのようなこざかしい能書を垂れることもなく、「こんなふうに書いたら、みんなに賢いと思ってもらえるかな?」などという恥ずかしい自意識もない、ただただ目の前の作品と純粋に、素直に向き合うことのできていた水野少年が、詩を前に感じていたことの情報の総量は、おそらく言語化できることの数十倍、数百倍、いや、それ以上であると思う。そもそもそれらは彼の頭のなかで、言語に変換された“モノ”で認識されたことではなく(それを引き起こしたトリガーはたしかに詩という言語によってなされた作品で、“モノ”であったが)、体験という“コト”で認識されたはずだ。両者にはとてつもなく大きな差がある。   そして非常に重要なのは、あのときの水野少年の頭のなかで、生き生きと“体験”として駆動された詩の感動そのものが、まさしく「雪」という作品の“表現”そのものであると、ほぼ言い換えて間違い無いのではないかということだ。   どういうことか。 「雪」は、あの二行だけで“表現”を完成していなかった。“表現”が立ち上がるのは「雪」の二行が書かれた原稿用紙の上ではなく、それを読み、そして自分という“生きた意識”によって、そのひとにしか再現できない鑑賞体験へと没入していく、読み手の頭のなかだ。   あくまでわかりやすくするために、あえて極端な、大変に失礼な書き振りで書く。 あの作品は、あえて不完全な状態で、提示されている。書かれていてもよいはずのものを、ほとんど書いていない。そぎ落とし、そぎ落とし、ほとんどのことを何も書かないで、あの二行だけが書かれている。あの二行のなかで“表現”が終わらない。“表現”のほとんどが、あの二行のなかに収まりきっていない。むしろ書かれたものが、むやみに“表現”をおびやかさないことを課している。生き生きと手を伸ばし、足を伸ばし、躍動するはずの“表現”をじゃましないように、抑制されている。書けば書くほど“表現”にべたべたと手をつけてしまい、その豊かな可能性を汚してしまう怖さを、あの二行は知っている。だから何も足さない。極限まで、言わない。書かない。   すごい。やはり達人は無駄に多くを語らないのだ。 考えてもみてほしい。このコラムだって、達人が書けば、300文字くらいで事足りたのかもしれない。5000字もいらない。つまらない自虐もいらない。脱線もしない。無駄もない。それでいて相手が想像を膨らませるために必要なものは、品よく、シンプルに置かれている。そんなふうに達人だったら書けるのかもしれない。しかし、私は達人ではない。もうバレていると思うが、達人風の顔をすることは得意でも、私は純正の達人ではない。なので、喋ってしまう。喋れば喋るほど、多くのものを失っていく。たとえば、文章の読みやすさとか。ごめんなさい。もう少し付き合ってほしい。この長い文章に。   作品が、作品内で“表現”を完結するのではなく、そのほとんど(ほぼすべて)を読み手(鑑賞者)の想像力、あるいは肉体性、あるいは生きているそのひとのナラティブそのもの、を駆動させることで、(事実上果てのない)表現の生成を実現していること。さらに恐ろしいことに、幼い水野少年がそうであったように、鑑賞者の感動なり、感銘なり、そういった情動のうごめきが、言語表現による作品であるにもかかわらず、はなから言語を基盤としていないこと。   子どもだった私は、言葉で感動を脳内につくりだしていたのではない。 ワイン好きのひとたちは、ワインの味や風合い、香りなどを、さまざまな比喩もふんだんに用いて、美しく言葉にすることがひとつの嗜みであるそうだが、そんなことを小学生はできないし、しない。(大人になった私もできない。いまだに、いい感じの感想が言えない。他のひとのライブの楽屋挨拶とかで、いい感じのことが言えたためしがない)   小学生の彼は、そんなに豊かで巧みな語彙は持ち合わせていなかった。幼い彼は言語の多くをまだ知らず、それはすなわち、言語にまだ依存していなかったとも言える。世界認識を言語に縛られきれていない状態だった。それでも彼は感動した。「おぉ……わぁ……はぁ……へぇ……」と思わず声を漏らすような、“なにか”を体験として実感した。その構造は、おそらく幼少期よりは言語に長けているはずの成人した人間が、あの詩を読んでも、そう変わらないはずだ。つまりあの作品の行き着く果ては、言語ではなかったのだ。   あの作品は、言葉ではじまりながら、言葉で終わらない。   さぁ、熱がこもりすぎて、どうも文章が早口になってきた気がする。百歩譲って早口はいいとしても、文章の滑舌が良くない。落ち着こう。コーヒーを飲もう。今日、もう8杯目だけれど。カフェインとりすぎだろうけれど。だから、興奮しているんじゃないか。デカフェのほうがいいんじゃないか。ところで「デカフェ」なのか「ディカフェ」なのか。そろそろどっちの言い方が正しいのか、こっそり教えてくれ。レジで店員さんに言うとき、ちょっと緊張するんだ。何の話だ。話を戻そう。   いや、水野さん。 あなた、ずいぶんと熱っぽく語っていらっしゃいますけれどね、そもそもさぁ、詩ってそういうもんなんじゃないの? 歌詞ってそういうものなんじゃないの? 「考えるな、感じろ」的なものなんじゃないの? その「雪」っていう詩がわかりやすい例なのかもしれないけれどさ。だいたい詩って、みんな、そういうもんでしょ。「言葉ではじまりながら、言葉で終わらない」なんて、ずいぶんドヤ顔で言い切って、「俺、言ってやったぜ」みたいな雰囲気出してたけれどさ、それ、よくよく考えたら当たり前のことじゃない? あんた、当たり前のことしか言ってないじゃん。   その通りである。 自分で考えたツッコミだが、ぐうの音も出ない。おっしゃるとおりである。自分で考えたツッコミだけれど、反論する気にもなれない。反論するとさらに原稿が長くなってしまいそうなので、そういう意味でも反論したくない。お茶を濁したい。コーヒーを飲んでいるけれど、ごまかしたい。ふざけすぎて、もうなんだかよくわからないが、続けさせてくれ。もう少しで終わるから。   いや、だからこそ、書けるのか?と聞きたいのだ。 誰に?   “あい”ちゃんにだ。今回も、原稿の終盤になってやっと、ラスボスのごとく登場してきてくれた。“あい”ちゃん、つまりAIである。もはやこの呼称にも愛おしさを感じる。   「冬眠」や「4分33秒」も、「雪」と同様に鑑賞者側に表現という行為の多くを傾けていることに変わりはない。そういう意味で、3作品の鑑賞の一連は、構造として近いものを持っていると言えるはずだが、一方で、AIに書けるかという視点でいうと微妙に差異が出てくる。「冬眠」や「4分33秒」については、その“驚き”の部分を再現するというだけなら、十分に書けるのではないかと思う。それは技法の転換であったり、フレームの切り替えであったり、俯瞰の連続による新しい視点の提示だから、それらはこれまでに蓄積された情報をもとに再構成をすれば、AIにも可能だろうし、むしろ人間では気がつけなかったところまで提示してくれる可能性も十分にあるだろう。表面的な“驚き”については、「冬眠」や「4分33秒」と同様の“驚き”をもたらす作品を、AIが提示することは、いくらでもあるはずだ。   だが、「雪」はどうだろうか。ここに、壁がある気がする。「雪」は「人間が読むということが、どういうことなのかを、体験として理解している」人間が、同じく人間として生きている存在(トートロジーになってしまうが、つまり人間である)が読むことを想定している作品だ。AIは「人間が読むということが、どういうことなのかを、情報としては認識できるが、体験としては理解できない」存在なのではないか。   その思考過程が、人間にとって認知の範疇を越えるほどに複雑で、超速度的で、仮に多次元的であったとしても、プログラムという、論理という出発点が重力として残り続ける言語様式からスタートしたAIが、非言語の“体験”に転換されていくような創作物を、人間ほどの不合理性や偏りや、あるいは流動性をもって、生成することができるのか? しかも“体験”の主体たる人間は、一瞬も停止することなく(接点や、同定できる瞬間がなく)、常に動的な存在で、事実上、世界そのものと接続している生命体だ。ようはAIは、“生きる”という現象の壁を、まだやぶれないのではないか。その壁に限りなく近づくことはあっても、触れられないのではないか。その壁に触れて、やぶって、はじめて、AIは「詩を書けるか、書けないか」の問いに、やっと辿り着けるのではないか。   「長崎は今日も雨だった」 「ああ 津軽海峡・冬景色」 「よこはま たそがれ ホテルの小部屋」 「雨上がりの空を見ていた」   疲れた。なんだかとっても疲れたんだ。 生きてるって感じがする。気のせいだと思う。すこしラストスパートが暴走したように思う。   “生きる”という現象の不可思議さと、とらえようのなさが、むしろ愛おしくなる、今日この頃である。われわれは“生きる”という現象に接続されているということをもってして、まだAIとの差異を、わずかばかりは保てるのではないか。そのわずかばかりが、永遠に近いようなものでも、ある気がするが。   晴れた。冬の風が心地良い日だ。 厚手のコートを羽織り、そろそろ喫茶店を出ようと思う。となりの席に座る男性の貧乏ゆすりが気になった。自分も同じかもしれない。気をつけなければ。みんな忙しく生活している。今年ももうすぐ終わる。それでは、良いお年を。   <水野良樹(いきものがかり・HIROBA)> ◆ニューシングル「生きて、燦々」 2025年12月10日発売   <収録曲> 生きて、燦々 生きて、燦々 -みなさん、こんにつあー!! 六万の声ver.- 生きて、燦々 -instrumental- ◆「 生きて、燦々 」 作詞:水野良樹 作曲:水野良樹 

    2025/12/23

  • いきものがかり
    “あい”ちゃんと、この愚かな私について その二
    “あい”ちゃんと、この愚かな私について その二

    いきものがかり

    “あい”ちゃんと、この愚かな私について その二

     2025年12月10日に“いきものがかり”がニューシングル「生きて、燦々」をリリースしました。タイトル曲は、TVアニメ『キングダム』第6シリーズのオープニングテーマです。作詞作曲を水野良樹、編曲を島田昌典が担当。視聴者から“アニメの世界観にぴったり”との声が多数寄せられております。    さて、今日のうたではそんな“いきものがかり”の水野良樹による歌詞エッセイを3週連続でお届け。第2弾では、迫りくる“締切”をきっかけに、人間が“生きて感じる時間”の不思議について綴っていただきました。変化し続ける人間にとっての時間と、AIが“情報として扱う時間”の隔たりとは…。ぜひ、最後までお楽しみください。 締切はすぐにくる。資本主義が肥大して久しい現代社会において、富や機会の不平等とは、我々が社会のるつぼに産み落とされたとき、まず最初に直面することを強いられる前提条件だが、その不平等の枠内には入らない!というあるものについて、敏腕ビジネス系YouTuberが声高に言っていた。   「みなさん、いいですか。時間だけがね、唯一平等なものなんですよ」   サムネイル画面にも大きな文字で書かれていた。ドヤ顔だった。彼はいつも結論から叫ぶのだ。ビジネスマンたるもの、結論から言わないとイケてる感じにはならないらしい。結論から言え!というサムネイル画面もその映像の下にあった。そのサムネイルのさらに下のほうには「わかりやすく説明します、特殊相対性理論!」という、科学系YouTuberのサムネイルがあったが、物理は高校生のときから苦手なので、光の速度でPCを閉じた。「迷うな、即行動!」という動画もあった気がする。あった気がするが、見てもすぐ忘れてしまうので、わからない。自分の記憶など信頼に値しない。   やれやれ、そんなことをしているから、締切がすぐ来るのだ。「よ!元気にしてた?」という感じで、あいつはひょっこりと私の眼前に現れる。気づいたら鼻先くらいの距離でこちらを見つめている。最近は老眼(43歳のお年頃です)が始まっているので、あまりに近距離に来られると見えづらい。だからあいつの接近に気がつかなかったのか。「ずいぶんと早く来たじゃないか」と苦し紛れに不満を伝えると「いやぁ、ほら、見て。スケジュール手帳。ね、時間通りです。遅刻もしなければ、早出もしない。ジャストタイム。僕は時間だけはしっかり守るんですから」と胸を張られてしまう。たしかに彼が時間を間違うことはない。彼は締切だ。彼は時間の“点”そのものだ。彼は動かない。(マネージャーに「ごめん、あの締切、後ろ倒してくれない?」とできるだけ大変そうな顔をつくって頼まない限り)   あの野郎め、たかが時間の“点”のくせに、大きな顔しやがって。俺たちは時間の“線”を生きているんだ!そう啖呵を切りたくなるが、スマホや手帳を開けば、締切と同様に無数の“点”が書かれていて、その“点”にどれだけ行動の主導権を握られているか、手綱を引かれているか、考え出すとつらくなるので、とりあえずスマホでショート動画を眺めながら現実逃避をし、だらだらと時間を過ごしたい。「あ、この料理しているワンちゃん、生成AIの動画なのか……」とか呟きながら。   いや、ダメだ。書かなくてはいけない。歌ネットのこのコラムを書かなくてはいけない。歌ネットのコラムの締切が、今、私を見ている。私は締切からの熱い視線を感じている。締切を見つめているとき、締切もまた、こちらを見つめているのだ。   さすがに、そろそろ怒られそうな気がする。   前回のコラムで、AIの歌詞生成について、なにかそれっぽい仮説と論点を述べて、最後、お茶を濁すような締め方をした記憶がある。まだお読みでない方は、ぜひ前回のコラムもご一読いただき、そこで「なんだよ、長いな」と思ったら、そのままこのコラムには戻らず、歌ネットに掲載されている素晴らしい名曲の歌詞たちを眺めてほしい。そちらのほうがはるかに有意義な時間を過ごせると思う。だが、もし万が一「あいつのくどい長話が気になる」と思ってくださった物好きな方がいたら、遠慮せずに戻ってきてくれたら嬉しい。こっそりでかまわないから。   ありがとう。おかえりなさい。 さて、話を戻そう。時間は平等である、についてだ。    差し迫る締切を前にしたとき、にわかにその言葉を信じがたくなるのは、私だけであろうか。私は知っている。締切があるときの1週間と、締切がないときの1週間が、まるで別人であることを。おい!1週間!お前、締切と出会う前は優しい奴だったじゃないか!いつも穏やかで、細かいことは気にしない、なんでも許してくれる素敵な奴だったじゃないか!それがなんだ、締切とかいうイケすかない奴と付き合うようになったら、急にむんむんと香水みたいに緊張感を漂わせやがって。スマホ見てたら「その時間、必要ですか?」とか「その時間に生産性ありますか?」とか、いちいちチクチク言いやがって。万難を排して仕事に打ち込もうとする善良な我々の自己肯定感を下げるんじゃない!どうしちまったんだ、もとの純朴な1週間に戻ってくれ。都会の色に染まらないでくれ。    我々の目の前にある量としての時間はたしかに平等だが、我々が体感する、我々が生きる現象としての時間は、各個人間ではもちろん、いち個人のなかにおいても、一定ではなく、かたちがとどまらない液体のように、とらえようのないものだ。楽しい時間は短く、つらい時間は長い。そのような時間についての感覚変化は、日常を生きている我々にはごくありふれたことで、この冗長なコラムには1年をかけても共感していただけないかもしれないが、「そのときどきによって、時間の感じ方って違うよね!」という呼びかけには、かなり多くの方が一瞬で共感していただけると思う。    「いや、たしかにその時々での体感時間って違うけれど、それっていわゆる“個人の感想”ですよね。そうじゃなくて、僕らが議論しているのは、時間そのものの量のことでぇー」と言われてしまうと、「はい、その通りです。その“個人の感想”が“客観的な量としての時間”とは別に、それぞれに存在していることが大変重要なんです」と(議論のすり替えをしていることは隠しながら)精一杯の賢そうな顔をして言い返してしまう。   乱暴に言えば、我々は同じ時間を生きていない。 私が生きるということは、私が感じる時間のなかを生きるということだが、私が感じる時間を、他者と共有することはできない。スマホをだらだらと眺めていたら、あっという間に昼休みが終わってしまった。一方で、食堂で上司の愚痴を聞かされて過ごした昼休みは永遠かと思うくらいに長かった。それらは誰かが、ある特定のときに感じた、固有の時間感覚だ。   誰かが過ごしたそのような“ただひとつの”時間は、過去に体験したよく似た時間を参考にして“共感”することはできても、その時間そのものを、あるいはその時間の感じ方を“共有”することはできない。あなたはあなたの時間を生きていて、わたしはわたしの時間を生きており、彼、彼女はまた違う時間を生きている。ただ、そのままそれぞれの時間感覚を野放しにしていると、集団生活は破綻してしまうので、社会は「時」を秩序立て、客観的な時間の量を測るための指標をつくり、なんとか個々人の(あるいは個人内の)時間の共存、統制、調整を行おうと試みてきた。   一定の規模まで共同体が拡大したとき、その時々の権力者が「時」や「暦(こよみ)」を秩序づけていった事実が(あるいは秩序づける権限を独占した事実が)、歴史上にしばしば存在するのは、それが社会全体の治安や、社会全体の生産性をコントロールするときに大変に重要で、支配的な方法だったからのはずだ。このコラムでは、さきほど締切を“点”と比喩したが、時間において“点”を打つことがどれだけ人間の行動に影響し、なかばコントロールするかは、日々の生活を思い返してみれば、すぐに理解できることだろう。会社勤めではない私は、労働時間においては大変に自由のきく立場であるはずだが、その自由も、締切をカレンダーに打ちこむマネージャーの手のひらの上を回遊させられているに過ぎない。何にも縛られず、俺は俺らしく毎日を過ごすぜ!などとかっこつけてこの仕事を選んだつもりでも、「水野さん、月末までにデモ提出でお願いしますね」と言われて、グーグルカレンダーに書き込まれてしまえば、その瞬間から「締切までの時間」が否応なく始まり、私はその時間のなかを息を切らして、たまにサボりながらも、懸命に泳ぐしかなくなるのだ。   なんの話だ。ただの愚痴になってきてはいないか。 とにかく長い。こんなに長いのに、ここまで読んでくれたあなたとは、これからも、いい時間をともにできる気がする。ありがとう。マネージャーがこのコラムを読んでいないことを祈る。長いから、おそらく斜め読みして飛ばしているだろう。それでいい、それがいい。   ただ、この“点”は、時間そのものではない。時間を測るための指標ではあっても、常にうごめき、流れている時間そのものではない。むしろ、その点と点とのあいだ、つまり“線”を旅している我々のほうが、時間そのものに近しい存在のはずだ。   時間そのものは、つねにうごめいている。単純に「(素朴な認識としての、過去から未来へと)流れている」という動きだけではなく、その感じ方、在り方も含めて、常にアメーバのようにうごめいており、あらゆる面において動的な事象だ。そう、まるでそれそのものが生きているように。そしてそのなかを生きる、その時間とともに生きねばならないことを宿命づけられた我々も、動的な存在にならざるをえない。わたしたちは「あっという間」に感じたり、「無限」に感じたりする、どうにもとらえどころのない気まぐれな時間という海のなかを(いずれは朽ちる有機体である以上、それそのものと同化しながら)生きなければならない。ややこしいのは、本当に意識の果てまで同化してしまうと(つまり、それは死だろう)、わたしたちは「個(わたしであること)」を認識できないので、かりそめにも主観という立脚点に立ち、言葉というコップをつかって、なんとかその海から「今」であるとか「あの頃」であるとか「これから」であるとか、時間の水を掬い取り、外部化して、コップに入った水を見つめて、時間のかたちをなんとなくでも認識して、なんとか「個(わたしであること)」という状態を維持している。   付き合い始めた恋人が電話口に出る。「今、何している?」と聞く。 大学を卒業して以来、十数年ぶりに友人に再会した。「今、何している?」と聞く。   このふたつの「今」が指し示す時間的な範囲は、明らかに違う。前者は、この電話をかけているまさしく今、何をしているかを問うている。恋人は答える。「暇してた。会いたい。すぐに家を出られるよ。どこで待ち合わせる?」。後者は、短時間の範囲を指し示す今ではなく、広ければここ数年ほどをまたいだ時間を念頭においた今であるはずだ。友人は答える。「今、実は教師をやっているんだよ。信じられるか、あんなやんちゃしてたこの俺が先生だぜ」。   こうやってわたしたちは、たがいに異なる時間感覚を、言葉をつかうなかで、知らず知らずのうちに付き合わせ、重ね合わせて、うまく折り合いをつけながら、柔軟に他者理解を試みている。難しいことではない。いつも自然とやっていることだ。このように動的な存在であって、よくもわるくも動的な意識しか持ち得ない人間と、それを情報ととらえ、天文学的物量の情報を人間に認知できないほどの粒度で再構成することで、あたかも動的に“みえるもの”としての時間を再現するAIとを並べたときに、それは同一化できるものなのか。時間という“体験”のなかを生きる人間と、時間という“情報”のなかを超速度で固定していくAIと、その差は、見えないことはあっても、埋めることはまだできていないのではないか。   やっとAIと人間の話にたどりつきそうだ。やっと“あい”ちゃんに会えた。長すぎる。やはり、歌のいち書き手でしかない人間が、ただ表面上を読みかじったに過ぎない浅く不正確な知識をもとに、頭のなかをこねくりかえして語るには、難しい話題だったか。まぁ、もう少しで終わるので、それっぽいことを言っていたなと笑って、読み通してほしい。   生成AIは膨大な情報を、人間には理解できないような複雑な次元構成のなかに置いて、あくまである時点での入力に応じて(つまり世界そのものの、流れていて止まることのない“大きな時間”とは切り離されている)、人間にはとても追いつきようがない速度で計算し、一定の解を出し続けるものだと理解しているが、これはぼんやりと合っているのだろうか。その一連を、たとえば人間の側から見たとき、人間が持つ自然さや複雑さにもきわめて近いものに“見える”ようになってきていて、見分けがつかないというのが、生成AIの成果物が「うわ、すげ、ひくわー」となる状態のひとつの内実ではないか。ただ一方で、AIの出す解や、AIそのものは、膨大な計算の“ある1点”の連続で構成されているもので、静的な“点”が人間には認知もできないほど細かく連続していて、動的な“線”と見間違うほどに近似していても、動的な“それそのもの”ではないとは言えないだろうか。   子どもの頃、「今っていつ?」と考えて、堂々巡りになった経験はないだろうか。「今」と思った瞬間に、その今が過去になっている。だから、なんども来たるべき瞬間に準備をして、せーのと覚悟を決めて「今」と叫んでみるが、どうしても「今」になれない。結局、「今っていつなんだ!」と、わからなくて地団駄を踏む。そんなことをしている少年は相当にめんどうな少年だが、私はどちらかというとそういう少年だった。その成れの果てが、このコラムである。推して然るべしである。しかし、あの体験が、我々が生きている時間そのものの不思議さを、端的に表している。   我々人間は、あるいは人間の“生きる”という現象は、動的であらざるを得ず、それこそ厳密な「今」という特定の“点”にとどまることができない。たしかに、人間も物理的な存在で、意識を構成する脳内の電気信号や、化学物質の反応も、その一連を突き詰めれば、その現象の最小単位(=点)を同定できるもので、それはAIの実像と近似しているはずだ。だが、その一連を経て、立ち上がってきたらしい“意識”は、あるいは個の生命体としての“わたし”が誕生する前から、延々と現れ続けて、おそらく死んだ後も現れ続けていく、この“生きる”という現象は、時間そのものと酷似していて、1点をつかまえることができないのではないか。   動的である人間が、生きるために言葉を用いて時間を静的にとらえる。 静的であるAIが、生きているように見せるため時間を動的にみせかけるように語る。 同じようでいて、だいぶ違うのではないか。   そして、その差が隠しきれないほどに如実に表出するのは、複雑な情報を物理的に内包化していて、それらの差を隠蔽しやすい、動画や音声ではなく、歌詞のような、それ以上の情報を物理的に添付することのできない、シンプルな言語表現なのではないか。   だいぶ、息が切れてきた。もう文字が打てる気がしない。 AIなら、このコラムの不明瞭な点、矛盾している点、あきらかな事実誤認などを瞬時にみつけ、私がスマホでワンちゃん動画を見ているうちに、2万字くらいの反論を書き切るだろう。反論を見たら、自分の愚かさや不勉強ぶりに落ち込みそうなので、ずっとワンちゃんを見ていたい。できればポメラニアンがいい。でも、どのポメラニアンよりも、うちで飼っているポメラニアン(名前:てけ、オス10歳。とてもかわいいインスタやってます!)が一番かわいいので、そのままPCを開くことなく帰宅して、犬を撫でたい。   このコラムは全3回である。歌ネットは、私に3回のチャンスを与えてくれている。そのうちの2回をすでに使ってしまったようだが、なんとかあと1回で、もう少し語りたい。次回は、なぜシンプルな創作物がAIと人間との差を表出しやすいのかについて。ぐだぐだと考え、ぐだぐだと喋りたい。長い。長すぎる。   少し寒くなってきた。 青森と北海道近海で地震が起きたようだ。どうか被害が大きくなりませんように。 私も、たぶん誰かも、祈ったり、願ったり、するし、今までもしてきたはずだ。 それではまた、ごきげんよう。   <水野良樹(いきものがかり・HIROBA)>   ◆ニューシングル「生きて、燦々」 2025年12月10日発売   <収録曲> 生きて、燦々 生きて、燦々 -みなさん、こんにつあー!! 六万の声ver.- 生きて、燦々 -instrumental- ◆「 生きて、燦々 」 作詞:水野良樹 作曲:水野良樹 

    2025/12/16

  • いきものがかり
    “あい”ちゃんと、この愚かな私について その一
    “あい”ちゃんと、この愚かな私について その一

    いきものがかり

    “あい”ちゃんと、この愚かな私について その一

     2025年12月10日に“いきものがかり”がニューシングル「生きて、燦々」をリリースしました。タイトル曲は、TVアニメ『キングダム』第6シリーズのオープニングテーマです。作詞作曲を水野良樹、編曲を島田昌典が担当。視聴者から“アニメの世界観にぴったり”との声が多数寄せられております。    さて、今日のうたではそんな“いきものがかり”の水野良樹による歌詞エッセイを3週連続でお届け。今回は第1弾です。自身に何度も投げかけられてきた、「AIに歌詞は書けるのか」という問いに対する考察。そして、AIが生成した歌詞に違和感を覚える理由についての仮説と論点を綴っていただきました。ぜひ最後までお楽しみください。 歌ネットのコラムの締切、もうすぐだったな。そろそろ書かなきゃな……とテキスト入力ソフトを立ち上げたら、画面上に吹き出しコマンドが表示された。このソフト、いつの間にかアップデートされていたらしい。コマンドにはこのようなことが書かれてあった。   「お疲れ様です。どんな下書きがお望みですか?営業報告書?お子様の算数の問題集?プレゼン用資料?すぐにご用意いたします」   おう。君か。やっぱり、君だったのか。最近よく会うね。   "あい"ちゃんである。   同い年の盟友、大塚愛のことではない。そもそも大塚さんのことを「愛ちゃん」とは呼べない。一応、向こうが先輩だし。大塚さんはこちらのことを「水野くん」と呼んでくれるが、そこを踏み込んで「愛ちゃん」とは呼べない。かといって「愛さん」だと後輩感がいささか過剰だ。以前、調子の良い後輩感を出そうと思ってうっかり「姉さん」と呼んでみたら「いや、年下ぶるのはずるいわ。同級生じゃん」と怒られた。正論である。諸般のもろもろを鑑みて、落ち着くところが「大塚さん」である。目の前で会話をするときの呼び方は「あなたねぇ」である。「君」ではない。なんかピリッとする。「あなた」ではちょっと距離がある気がするので、そこは少し茶化して「あなたねぇ」である。自分は濃いめの神奈川県出身者だが、江戸っ子っぽいイントネーションで言うのがコツだ。発音的には「あぁーたねぇ」でもよい。さぁ、みなさんご一緒に「あなたねぇ」。ちなみに大塚さんは黒胡麻せんべいが好きである。レコーディングスタジオのケータリングにあった黒胡麻せんべいを彼女はいたく気に入っておられた。大塚さんが喜ぶから、今後は黒胡麻せんべいをちょっとだけ多く買ってきてほしいと、スタッフさんにこっそり頼んだくらいだ。スタジオで大塚さんの機嫌が良いと嬉しい。   なんの話だ。また、無駄な話を。遠回りをしてしまった。人間とはこうやって、本題から外れた、どこにも辿り着かない無駄話を長々としてしまうものだ。いや、主語がデカすぎた。あくまで愚かな自分ひとりのことに過ぎないのに、ついつい「人間とは」とか「我々ミュージシャンとは」とか、主語をでかくして語り、発言の主体をあいまいにさせ、自分を守ろうとしてしまう。これこそ実に典型的な、あまりにも愚かな人間……ああ、じゃなかった、わたし。ぼく。水野。水野良樹。いきものがかりの地味な方。顔はよく思い出せないけれど、たぶんあいつ!とあなたが今思い浮かべている人。のいつもの有様である。   そんな愚かな私の前に近頃、たびたび姿を表す存在がある。   「AI」。つまり、"あい"ちゃんである。   あなたのところにもよく顔を出しているはずだ。なんせ大人気だから。引く手あまただから。冒頭のテキストソフトのように、知らぬ間にあらゆるところに実装されていて、いつでもどこでもひょっこり現れる。ドン引きするくらい優秀だし。私なんか、もっと会いたいなって思っちゃって、しっかり課金している。課金ユーザーだ。どこの"あい"ちゃんとは言わないけれど(いろいろ種類があるだろ)のめりこんでいる。歌詞で稼いだ印税をおしげもなく"あい"ちゃんにつかっている。脳に汗をかき、あんなに苦労して文字を書いて稼いだお金を、数秒でさくっと数千文字の文章を吐き出せてしまう"あい"ちゃんに毎月せっせと貢いでいるなんて、やれやれ、なんてディストピアだ。   ところで、このコラム、そろそろ読者に愛想をつかれてしまう気がする。 本題に入ろう。さすがにちゃんと話そう。   歌詞を題材とした音楽メディア「歌ネット」に掲示するコラムで「AI」という単語を出したからには、もう皆さんも薄々、「ああ、こいつ、あのテーマで喋る気だな。」とお気づきだと思う。無駄話を続けて、字数を稼いでいることにもお気づきだろう。そこはあなたも人間なんだから、察してくれ。ありがとう。さぁ、はじめよう。   「AIに歌詞は書けるのか」   この1年くらいのうちに、もう何度、この話題を投げかけられただろう。取材のようなオープンな場所でも、友人との雑談のようなプライベートの場所でも、多少の言い回しの違いこそあれ、様々なひとから、何度となくこの話題を切り出された。ポイントカードがあったら、もう2、3枚埋まるくらいの回数聞かれたと思う。ポイントカードが1枚埋まったら「1回だけこっそりAIに歌詞を書いてもらえる券」とかもらえないだろうか。できれば締め切りが差し迫っているときとかに。年度末とかに。そこんところ、いい感じに頼むよ、"あい"ちゃん。まぁ、なにがしかの"ミュージシャンとしての信用"的なものを、ごっそりと失ってしまいそうだが、それは神妙な顔と雰囲気でどうにかするとして。   ただ、この問い、どうも最近、無意味化している感はある。読者の皆さんからも「え?まだ、そんなこと言ってるんですか?あなた、まだ、そこにいるんですか?」と、スマホの画面に冷たい眼差しを向けられている気がする。どうか、あなたのその綺麗な指先で画面をスワイプしないでほしい。あと、もうちょっとだけ読んでほしい。それなりに長いけど。   というのも、文章だけでなく、コンピュータープログラム、画像、動画、音楽など、生成AI技術の加速度的な進歩によってその成果物のクオリティが「うわ、やば。こわ。ひくわー」とこちらの言語能力を削ぎとるレベル……なんてとうに越え、「人間がつくったものか、生成AIがつくったものか、はたまた両者の掛け合わせか、わからない」というレベル……も難なく越えそうで、「シンギュラリティの全方面的な実現」は想定よりだいぶ早まりそうですよという話も聞こえてくるレベル……もそろそろ過去のことで、さらに一歩越えて「やがては人類滅亡するらしいっすよ」というドラマティックな話をユーモアの範疇でしゃべっていられなくなりそうですねというところまできた今、歌詞という(音楽との共生という制限的特徴はあれど)言語だけで表出される、あまりにもミニマムな表現様式が、「書ける」「書けない」のレベルで考えられるわけないでしょう、そりゃ書けるっしょと、当然化されるのは自然な流れであり、ゆえに「AIに歌詞は書けるのか」という問い自体が瓦解しているのは、紛れもない現実だ。   ああ、なんてまわりくどい、長い文章だろう。 わざと読みにくくしているとしか思えない(半分、その通りである)。 やっぱりこのコラムもAIに書いてもらったほうがよかったんじゃないか。そう自省しながらも、一方でむくむくと湧き立ってくる疑問は、それでもなお、AIでの歌詞執筆にまつわる話題が、それなりに好奇心をそそるものとして残り続けているのはなぜだろう、というところだ。   たしかに「AIに歌詞は書けるのか」という問いそのものが"問うているところ"の性質が、いつの間にか変化していることは明白だ。この問いを話題にするとき、字面通りの「書ける」「書けない」の成否を問うているひとは、もうさすがに少ない。我々がこの問いにおいて興味の重心を置くのは、単純な実行の成否ではもはやなく、やはり「良い(と人間が思える)」歌詞を書けるのかという、クオリティの進化にまつわる部分であろう。   だとしてもだ。 本来であるならば、その「クオリティについてのうんぬんかんぬん」も、遥か昔に廃れていてもおかしくない話題のはずだ。前述したように、画像や動画といったような、歌詞と比較すれば遥かに変数の多い、複雑な情報構成をもつ創作物が「人間オワタ」と揶揄されるレベルで表出され、圧倒的な物量とスピードで氾濫する現状を見れば、たかだか数百文字で、テキストという単純な言語情報で、データ量としては極小であるはずの創作物のクオリティが、なぜ議論としてまだ生きているのか不思議だ。それでも、なぜか我々はAIが書いた歌詞を見て、少しだけ思ってしまうのだ。   「あれ、なんか、ちがう」と。   そう思ってしまうのは、AIに創作を侵食されることへの忌避感から生まれるバイアスなのか、はたまた「極小な違いも敏感に感じとる俺、いけてるっしょ」という、分析そのものを自己表現化してしまいがちな人間らしさの発露なのか、そうやって意地悪に考えればいくらでも鑑賞における非論理性や認知の歪み、偏りを指摘できそうだが、愚かな人間のひとりである私は、人間に対してえこひいきしてしまう気持ちがたっぷりあるので、どうしたって「やっぱさ、いろいろ俺も考えたんだけどさ、なんかちがうって感じするよね?」と、飲み会で知り合いをみつけたときのようなハイテンションで、人間たちに加勢してしまうのだ。   なぜAIにとっては、シンプルで容易な課題であるはずの歌詞の生成に、まだ我々は違和感を抱くのか。「なんか、ちがう」をぬぐいきれないのか。   問いとは、それそのものが、答えとなるときもある。 「シンプルだから」容易なのではなく、「シンプルだから」困難なのではないだろうか。   以下、次のような仮説と論点で語っていきたい。 真面目な顔をして、脳に汗をかきながら文字を打っていきたい。   ・歌詞というシンプルな構造物だからこそ、人間と生成AIとの微妙な差異を、情報の複雑さのなかに隠蔽することができない。   ・画像や動画は、その創作物のなかに鑑賞者に与える情報が膨大にある。一方で歌詞は、歌詞そのものに表記されている情報はきわめて少なく、鑑賞行為は、鑑賞者自身がもつ知識、想像力を能動的に駆動させることでその大部分が行われる。歌詞においては、その鑑賞行為の実質は鑑賞者たる人間の脳内での負荷が比較的大きく、そのように鑑賞者の未知で不明瞭なアセットを駆動させなくてはならないようなエンタメは、まだAIは不得手なのではないか。   ・人間とは、計算の結果で成立している存在ではなく、実質的には環境そのものと接続している存在だ。自己同一性を保つために、自己とそれ以外(他者、世界)を分離するような考え方が人間にはインストールされているようだが、それは完全ではなく、物理的には環境そのものといってもいいはずではないか。そのような人間と、膨大な計算(それがたとえ人間の理解を大幅に超えるような規模と速度であったとしても)の結果である生成AIとは、似姿ではあるにせよ、同一にはなりえないのではないか。母数は環境(宇宙そのもの)にあり、計算はどうしてもその枠内に入るものではないのか。そして、そのアウトプットの差異は、前述した通りに、シンプルなものほど出やすい(気がする)   ・人間は、人間の認識が及ぶ範囲ではおもに時間の経過と伴走するかたちで、生から死へと、おのれの意志と関係なく自走してしまう存在だ。我々の「生きる」という現象は、どこからきて、どこへ向かうのか。それを人間がコントロールすることは現状ではできないし、それを理解しようという試みは人類史のなかで延々と繰り返されてきたのだろうが、結論にはもちろん至っていないだろう。この"自走"あるいは、延々と命として現れつづける状態と、出発点において入力を前提とするAIの自走に"見える"状態とは、やはり差異があるのではないか。そして、それこそが歌詞という、鑑賞者としての人間そのもの(あるいは環境そのものと言い換えてもいいかもしれない)を主体として駆動しないと成立しないミニマムな創造物のなかでは、逆説的に巨大化するのではないか。     まるでAIが書いたような"それっぽい文章"だが、残念ながら人間のひとりである愚かな私が書いた"それっぽい文章"である。さぁ、これから、これらについて、膨大な時間をつかって考え、AIだったら数秒でアウトプットする程度の字数を費やして書いていきたいと思うが、さすがにここまでで長すぎるし、正直、お腹が減っているので、また続きは次回とさせていただきたい。   こちらのコラム、全3回で書かせていただけるらしく、私にはあと2回のチャンスが与えられている。食欲を満たし、ぐっすりと睡眠をして、体調万全で奮闘して書きたい。だが、締め切りに間に合わないと思ったら、みんな大好き、大人気の"あい"ちゃんに声をかける誘惑に、負ける可能性はゼロとも言えない。そのときは私の文章を一読されたのち、「あ、こいつ、やりやがったな」と思って笑い飛ばしていただければ幸いである。   今日は雨が降っている。いい歌詞が書けそうな日だ。それでは、また。ごきげんよう。   <水野良樹(いきものがかり・HIROBA)> ◆ニューシングル「生きて、燦々」 2025年12月10日発売   <収録曲> 生きて、燦々 生きて、燦々 -みなさん、こんにつあー!! 六万の声ver.- 生きて、燦々 -instrumental- ◆「 生きて、燦々 」 作詞:水野良樹 作曲:水野良樹 

    2025/12/10

  • いきものがかり
    アイスクリームが溶けていく。
    アイスクリームが溶けていく。

    いきものがかり

    アイスクリームが溶けていく。

     みなさま、明けましておめでとうございます!『第65回 輝く!日本レコード大賞』や『第74回NHK紅白歌合戦』など様々な音楽番組をご堪能されましたでしょうか。今年はいったいどんな歌詞との出会いが待っているのでしょうか。2024年も歌ネットを何卒よろしくお願いいたします。そして、早速ですが、今年最初の今日のうたをお届け…!  2023年12月13日に“いきものがかり”がニューアルバム『〇』をリリースしました。今作は、2人体制となって初のオリジナルアルバム。映画『銀河鉄道の父』主題歌「STAR」や、『映画プリキュアオールスターズF』主題歌「うれしくて」、『プリキュア』シリーズの20周年記念ソングでTVアニメ『キボウノチカラ~オトナプリキュア'23~』オープニングテーマ「ときめき」、フジテレビ系『坂上どうぶつ王国』テーマソング「きっと愛になる」などが収録。    さて、今日のうたコラムではそんな“いきものがかり”の水野良樹による歌詞エッセイをお届け! 今回が第2弾です。目の前に広がっている、「アイスクリームが溶けていく」光景。それを見つめながら、この文章の“表現”について考えていくと…。あなたは「アイスクリームが溶けていく」という文章からどんな物語を想像しますか…? アイスクリームが溶けていく。 実際に今、テーブルに置かれた皿の上で、一口サイズのピノのアイスクリームが溶けようとしている。外側のチョコレートの部分はかろうじて形状が保たれているけれど、内側のバニラアイスはぬるっとしてしまって、液状になって漏れ出している。このまま放置するのは、どうにも、もったいない気がする。   今、すぐに口に入れれば間に合う。おそらく、いける。 むしろ口溶けの具合が柔らかくて、美味しいかもしれない。横目で息子の背中を確認する。息子は食べかけのアイスクリームをそのままに、ポケモンの番組が始まったのに気をとられて、テレビ前のソファに移ってしまった。せっかくのおやつを前に、もったいないことをするものだ。行儀も良くない。叱って、息子を席に戻そうか。   いや、あいつはこのアイスクリームのことを忘れている。 皿を片付けても気がつかないだろう。ピカチュウに夢中だ。どうしよう、アイス、食ってしまうか。どうせ溶けちゃうし、いってしまうか。息子よ、父はずるい。覚えておけ、世間は甘くない。油断してはならないのだ。大切なものは目を離したすきに奪われる。アイスもまたしかり。それでは、いただこうか。   アイスクリームが溶けていく。   大人げない行為をする前に、よくよく考えれば、実に豊かな表現だなと思う。文章の“意味”としては明快だ。固形物が融解していく。かたちあるものが溶ける。つまりはただそれだけのことで、この文章の“意味”を読み違えることはない。   しかし、言葉は“意味”だけでは存在していない。そこにイメージを漂わせてしまう。もくもくと湯気をたてるように、“意味”という骨格の外側へと、イメージが膨らんでいく。やがて湯気だったものは実体を持ち、しなやかに脈打ち、肉づいていく。“表現”そのものとなる。   アイスクリームが溶けていく。   そこには時間と、温度と、匂いと、なにかが崩壊していく様と、食べ頃のアイスクリームが何も手を下されず放置されているという現実とが、立ち現れている。それらはすべて読み手の想像力を借りて、彼、彼女の主体的な発想をエンジンとして稼働するものだ。   アイスクリームは火でも当てない限り、瞬時には溶けない。“溶けていく”には時間の経過が含まれていて、なおかつ、その時間のなかで“何もしなかった”という現実が影のように張り付いている。“何もしなかった”という現実は、そのままメタファーになりえる。   恋人の二人が、別れ話をしている。 二人で何度も訪れた、いつものカフェ。 彼女は黙り込む。この店に来るたびに頼んでいたバニラアイスクリーム。 いつも笑顔で美味しいと言っていた。 彼女は今日も頼んだけれど、スプーンに指を触れることもできない。 さきほど彼が口にした言葉が、テーブルに沈黙をもたらした。 アイスクリームよりつめたい冷気が、二人のあいだに満ちている。 彼女はアイスクリームをただ、見つめている。   アイスクリームが溶けていく。   繰り返すが、言葉の“意味”を理解することは容易だ。だが、そこに立ち現れる“こと”(=これをわかりやすく、いささか乱暴に“イメージ”と言い換えているけれど)をとらえることは、そう容易ではない。でも、容易ではないがゆえに、豊かだとも言える。   人間が書いて、人間が読んでいる。 ものの本で読んだ。言葉は、“こと”の端、だという。   “意味”は情報でしかないから、言葉という道具を使えば、ほぼ寸分違わず、誰かから誰かへと受け渡すことができる。しかし“こと”は輪郭もなく、曖昧で、それでいて無限にも近く豊かなものだから、届け手と受け手とのあいだで、しばしばすれ違いが起きて、そのすれ違いこそが、表現の魅力となったりする。   ありがとうって伝えたくて。   さよならは悲しい言葉じゃない。   帰りたくなったよ。   書いたときはこれらが、どれほど豊かな受け手の“こと”を内包できるのか、想像もつかなかった。人生の最期の“ありがとう”につながるときもあれば、可愛い子どもたちが恩師にあどけない声で伝える“ありがとう”につながるときもあった。まだ多くの別れも知らない思春期の若者たちの“さよなら”につながるときもあれば、死別という圧倒的な“さよなら”につながるときもあった。帰りたくなる場所や時代は、ひとによって千差万別だ。一方で“帰りたくなったよ”という気持ちは、“帰れない”という事実を際立たせたりもした。“帰りたくなったよ”という一節を聴いて、もう帰ることのできない場所を想うひとが、いったいどれだけいただろうか。   “意味”を渡すために、言葉があるんじゃない。やはり、受け手とのあいだに豊穣な“こと”の海を広げられることが、言葉のすばらしさだと思うし、難しさだと思う。   よく、誤解されることがある。 わかりやすい歌を書いているのではない。 聴き手にとって、豊かになる歌を書きたいと思っている。 ポップソングとは、そういう歌のことだと思う。     さて、アイスクリームが溶けていく。 やはり、息子のアイスクリームを横取りするのは、気がひける。   「ほら、溶けちゃうよ! テレビ見てないで、早く食べちゃいなさい!」   妻が息子を叱る声で、我に返る。そう、早く食べないといけないのだ。息子よ、よく聞け。父のように、小難しいことをぐだぐだと考えているうちに美味しい時間は過ぎ去ってしまってしまう。考えるより先に、行動をしなくてはならない。   息子が大急ぎでテーブルに戻ってくる。   「パパ、一緒に食べよ」 「1個しかないよ」 「じゃあ、もうパパ食べて!」 「いいの?」 「いいよ。パパにあげる」   また小さな背中が、テレビの方へと戻っていく。   アイスクリームが溶けていく。   溶ける前にスプーンですくって、息子の背中を眺めながら、今、甘みと、なにかあたたかいものを、舌先で感じている。   <水野良樹(いきものがかり/HIROBA)>   ◆ニューアルバム『〇』 2023年12月13日発売 <収録曲> M1 誰か M2 うれしくて M3 声 M4 ときめき M5 きっと愛になる M6 STAR M7 好きをあつめたら M8 HEROINE M9 やさしく、さよなら M10 喝采 M11 YUKIMANIA M12 ○

    2024/01/01

  • いきものがかり
    「大好き」が問いかけるもの
    「大好き」が問いかけるもの

    いきものがかり

    「大好き」が問いかけるもの

     2023年12月13日に“いきものがかり”がニューアルバム『〇』をリリース! 今作は、2人体制となって初のオリジナルアルバムです。映画『銀河鉄道の父』主題歌「STAR」や、『映画プリキュアオールスターズF』主題歌「うれしくて」、『プリキュア』シリーズの20周年記念ソングでTVアニメ『キボウノチカラ~オトナプリキュア'23~』オープニングテーマ「ときめき」、フジテレビ系『坂上どうぶつ王国』テーマソング「きっと愛になる」などが全12曲が収録されております。    さて、今日のうたコラムではそんな“いきものがかり”の水野良樹による歌詞エッセイを2回に分けてお届け! 今回は第1弾です。とある日、我が息子からふいに投げかけられた言葉。そこから考えてゆく、歌をつくる意味とは、歌を書くことの難しさとは…。今作の収録曲と併せて、エッセイをお楽しみください。 6歳の息子に付き合って、居間のソファでアニメを見ている。 画面を飛び交うポケモンたちの名前がぜんぜん覚えられない。これはみずタイプなんだ、あれはほのおタイプなんだと、早口でまくしたてる息子の説明に「へぇ」と頷くだけだ。   「パパ?」 不意に、テレビに向けられていた息子の顔が、ぐるりとこちらに振り向く。 「ん?」 目を合わせる。ずいぶんと綺麗な目をしている。丸い。 「大好き」   強烈だなぁと思う。まいったなぁと思う。なかなかの破壊力だ。 息子は気にするでもなく、すぐにポケモンの世界に戻り、親バカの父親だけが日常の風景のなかに取り残されて、「大好き」という言葉の余韻にしばし痺れている。   そうか。 “大好き”か。   歌詞なんて、必要があるのかと思うことがある。 水野くん、作詞というのはね、「好き」という言葉を使わずに「好き」を表現することなのだよ。いや、先生、おっしゃりたいことはわかりますけれど。お言葉ではございますが、それ、創作という遊戯を超えたところで、どれだけの意味があるのでしょうか。   まぁ、屁理屈ではある。そうやって、おのれの語彙の少なさを、あるいは言語表現の拙さを、ごまかしているところは否定できない。「好き」で済むのだったら、ほとんどの締切を余裕で通り過ぎることができるだろうし。それは楽でしょうよ。   だが、踏みとどまって考えてみなくてはならない。 幼い息子が放った「大好き」が、なぜ胸を打つのか。   歌詞にせよ、文学にせよ、戯曲にせよ。 すべての言語表現はつまるところ、そういった日常のなかの、おおよそ“芸術”などというご立派な単語でコーティングされる前の、言葉がやっと言葉になったような瞬間から、始まるのではないだろうか。   物心ついたばかりの幼い子どもが、言葉という袋をやっと手にした。 そこにどんな種類の感情を、どれだけ詰められるのか。まだ彼は適当な具合がよくわかっていない。おもちゃ袋いっぱいに感情のぬいぐるみを詰めてしまう。小さな手では持ちきれないほどの大きさになってしまう。でもそれを、そのまま渡す。満面の笑みで。そんな、言葉。   “関係”があるから、でもある。 息子は、彼の父親である自分にはとってはかけがえのない存在で、そんな息子が放つ言葉は愛おしいものとなるに決まっている。表現ではなく“関係”が、言葉に価値を与えている。だから、息子の言葉はたしかに、表現という遊戯にかかわる“詞”ではない。   だが、はたして、すべての関係から無縁でいられるような“詞”が存在するだろうか。すべての関係から切り離されて、純粋に自立し、孤高に酔えるような“表現”が存在したとして、それは誰かを慰めるだろうか。   言葉は書かれた時点で、読まれる宿命を帯びている。 歌はくちずさまれた時点で、聴かれる宿命を帯びている。 書き手がいれば、聴き手がいる。 自分だけで密かに書いた日記でさえ。自分だけで静かに呟いた祈りでさえ。 それらを聴く“自分という他者”がいることを思えば、常に、そこに“誰か”はいる。 哀しいことかもしれないが、言葉は“ひとりではいられないもの”だ。   だから、やはり息子が放った「大好き」に向き合わねばならない。 言葉が“関係”から切り離せないのであれば、歌詞を書く人間にとって、小さな子どもが放った生まれたての言葉の瑞々しさは、重く、鋭い、批評になる。   あの「大好き」と向き合える言葉を、お前は書けているのかと問われたら。 それはなかなかに、恐ろしい問いだ。   今までの人類の歴史上で(大袈裟な話だが)、いったいどれだけの感情が言葉にされ、やりとりされてきたのだろうか。今、この瞬間にも、息子が放った「大好き」と同じような言葉が、誰かと誰かとのあいだで交わされている。   あえて言うのなら、それでもなお、歌をつくる意味があるのか。     歌書きはいつも、下から風が吹き上げる無意味の谷底の前で、立ち尽くしている。 つくりだした言葉のほとんどは目前の谷底の闇奥へと落ちていく。   だが、ときどき。ほんとうにたまに。 息子が放った「大好き」と同じように、誰かと誰かとの関係のもとで、呼吸をする言葉が生まれてくる。表現という技術の遊戯に終わるのではなく、生きた人と人とのあいだで、彼らの感情とつながって、それらを血として、生々しくうごめいて、生きていく言葉が。   うまく書きたいとは思わない。 だけれども、誰かと誰かとのあいだで生かされていく言葉は、書けたらいいなと思う。   テレビを見ていた息子がまたもう一度、こちらに振り返ったとき。 自分は何を言えるだろうか。   その問いの難しさは、歌を書くことの難しさと、そんなに、変わらない。     <水野良樹(いきものがかり/HIROBA)>   ◆ニューアルバム『〇』 2023年12月13日発売 <収録曲> M1 誰か M2 うれしくて M3 声 M4 ときめき M5 きっと愛になる M6 STAR M7 好きをあつめたら M8 HEROINE M9 やさしく、さよなら M10 喝采 M11 YUKIMANIA M12 ○

    2023/12/12

  • いきものがかり
    でも振り返ることに、甘えてはいけない。
    でも振り返ることに、甘えてはいけない。

    いきものがかり

    でも振り返ることに、甘えてはいけない。

     2019年12月25日に“いきものがかり”がニューアルバム『WE DO』をリリースしました。2017年1月に“放牧”宣言をして活動休止した彼らが、2018年11月に“集牧”し、活動再開して以来、初のCDリリースとなる今作。オリジナルフルアルバムとしては、2014年に発売した『FUN! FUN! FANFARE!』以来、5年ぶりとなる、待望の全13曲入り作品です。 悲しみを抱きしめて それでも冬を越えて 春を待つひとにこそ 幸せはくるんだと 君は信じてたんだ だから僕も信じた さよなら さよなら 僕らの青春 「さよなら青春」/いきものがかり  さて、今日のうたコラムでは、こんなフレーズから幕を開ける収録曲 「 さよなら青春 」 をご紹介いたします。作詞作曲は水野良樹。青春とは、夢や希望に満ちた、活力みなぎる時代を人生の春にたとえたもの。できることなら、その眩しい日々にいつまでも留まっていたいし、その時間を一緒に過ごしてきた<君>のそばにずっとい続けたいですよね。  でも、同じ春が永遠には続かないように、青春もまた然り。ときには、物語の先に進むため、譲れない何かを追いかけるため、ともに<春>を待ち続けたひとの手を離してでも、さよならという<悲しみを抱きしめて それでも冬を越えて>いかなければなりません。この歌ではそんな“別れ”を選択した<僕>と<君>の姿が描かれているんです。 今年もまた東京で 春を迎えるのかな 少し肌寒いけど 桜も咲き始めた 電車から見えている 綺麗なビルの群れに いつからか 慣れている 自分がいる 改札を出てすぐに 忘れものに気づいた 困るわけじゃないけど 小さく舌打ちする からかうように晴れた 青空を見てたら なぜだろう 君のこと 思い出す  続く歌詞から、<僕>はずいぶん“ふるさと”には帰れていないであろうことが伝わってきます。愛する<君>と別れ、故郷の駅を離れ、初めて“東京”の<改札>を出たあの日から今日まで、何度も<春を迎え>ながら。あの頃は違和感があった<電車から見えている 綺麗なビルの群れ>にも<慣れ>ながら。なんとか今を生きているのです。    だけど、いくら新しい<春を迎え>ても、どんなに環境や心境が変化しても、忘れられないのが“人生の春=僕らの青春”です。それは、たとえば<改札を出てすぐに 忘れものに気づいた>ようなふとした瞬間に思い出されるのでしょう。忘れものをしがちだった<僕>を、からかっていた<君>のあの笑顔。すると、なんだか自分は大切なものまで“ふるさと”に忘れてきてしまった気がしてくるのではないでしょうか。 今だけを生きて 今だけを生きて それぞれの未来は もう違う空 物語は続くよ さよならばかり置いて 心だけがいつでも 時から遅れていく でも振り返ることに 甘えてはいけない だからもう 今日だけを 懸命に 「また会えたらいいね」と 最後に君は言った あの日の写真はまだ アルバムに挟んでいる 見てしまえば泣くから まだ開いてはいない 僕だけが この今を生きている  それでも、きっと<僕>は“ふるさと”に戻りはしないはず。帰れないのではなく、帰らないのです。<心だけがいつでも 時から遅れていく>し<あの日の写真はまだ アルバムに挟んでいる>けれど、<それぞれの未来は もう違う空>だとわかっている。だからこそ<振り返ることに 甘えてはいけない>と、涙を堪え、胸の内でそっと<君>の「また会えたらいいね」をお守りにしながら、今だけを懸命に生きるのです。 君と出会えたことを 君を愛したことを 忘れはしないだろう 忘れられないだろう 物語は続いて いつまでも続いて さよなら さよなら 僕らの青春 悲しみを抱きしめて それでも冬を越えて 春を待つひとにこそ 幸せはくるんだと 君はそう言ったんだ 僕はそれを信じた さよなら さよなら さよなら    今、自分がここで止まってしまってはいけない。だって<君と出会えたことを 君を愛したことを>悲しみで終わらせたくないから。かけがえない<僕らの青春>から続いている物語を進めていきたいから。そうして<君>が言った言葉を、今でも信じながら、幸せに向かっていくのでしょう。最後に繰り返される<さよなら>には、前を向く決意と共に、それぞれの幸せを祈る気持ちも込められているのだと思います。    卒業の季節が近づいているこの季節。是非、いろんな想いを重ねながら、いきものがかり「さよなら青春」を聴いてみてください。 ◆紹介曲「 さよなら青春 」 作詞:水野良樹 作曲:水野良樹 ◆8th ALBUM『WE DO』 2019年12月25日発売 <収録曲> 1 WE DO 2 SING! 3 スピカ~あなたがいるということ~ 4 STAR LIGHT JOURNEY 5 アイデンティティ 6 あなたは 7 太陽 8 きみへの愛を言葉にするんだ 9 しゃりらりあ 10 try again 11 さよなら青春 12 口笛にかわるまで 13 季節

    2020/01/08

  • いきものがかり
    ぼくらの声は、誰かを愛するためにあるんだ。
    ぼくらの声は、誰かを愛するためにあるんだ。

    いきものがかり

    ぼくらの声は、誰かを愛するためにあるんだ。

     2019年4月1日に“いきものがかり”が新曲「SING!」を配信リリースしました。フジテレビ系『めざましテレビ』のテーマソングとして書き下ろされたこの曲。毎朝、晴れやかであたたかな歌声がわたしたちの心を優しく包み込み、新たな一日をスタートさせるためのパワーを与えてくれております。今日のうたコラムでは、そんな1曲をご紹介! 歌いはじめよう ぼくらの声は 誰かを愛するためにあるんだ なんどだって伝えるから あなたの手よ 優しいままでいて 「SING!」/いきものがかり    「おはよう」「行ってきます」「行ってらっしゃい」が飛び交う朝。そうした当たり前の風景にだって<ぼくらの声は 誰かを愛するためにあるんだ>というフレーズが通じます。わたしたちは日々、無意識のうちに<誰かを愛するため>の声を、愛する誰かへの声を、伝えているのです。でも<優しいままで>い続けるのは、簡単なようで難しい。だからこそ、いきものがかりは<なんどだって伝えるから>と歌うのでしょう。 朝陽が街を照らしてる 行き交うひと みんなそれぞれに 自分という大事なストーリー ただ懸命に今日を暮らしている 街頭ビジョンで流れるつらいニュース 誰か責める声 でも信号待ちの親子は 笑っていたよ ちゃんと手をつないで 優しさはきれいな絵空事じゃない そうぼくらだって ためされてる 想いあうこと 投げ出さず 笑えてるかな 「SING!」/いきものがかり  では<優しいままで>いるのが難しいときとは、どんな場合でしょうか。たとえば<自分という大事なストーリー>に傷をつけられたようなとき。<ただ懸命に今日を暮らしている>のに報われないとき。<街頭ビジョンで流れるつらいニュース>を目にすれば、つい<誰か責める声>側に回ってしまったり。SNSで棘のある言葉を向けてしまったり…。    そんなふうに、行き場のない自分のつらさを、違うつらさのなかにいる“見知らぬ誰か”にぶつけてしまうひとも少なくないでしょう。しかし、そこから生まれるのは“つらいの連鎖”だけです。きっと、つらいときこそ、<優しいままで>いるのが難しいときこそ、<ぼくら>は<ためされてる>のだと思います。そのつらさを越えられるかどうか。    そして“隣にいる大切なひと”と<想いあうこと>ができるかどうか。その手を<投げ出さず 笑えてる>かどうか。もちろん<信号待ちの親子>にだって大変なことはあるでしょう。それでも<笑っていた>。<ちゃんと手をつないで>いた。その姿からは<ためされ>ながらも<きれいな絵空事じゃない>優しさを、しっかり守り繋いでゆくひとの強さが伝わってきますよね。 怒りや悲しみに心捨てないで いまできることを つづければいい 見失うなら この手を つかめばいいさ 愛しつづけよう うまくいかない くじけそうなときほど顔上げて それはぜんぶ無駄じゃなくて つづいていく ぼくらの物語 もっとぼくらは生きていくんだ 自分の手でしあわせを描いて 涙なんてぬぐえること 忘れないで 大丈夫だから 「SING!」/いきものがかり  また、わたしたちが<優しいままで>あり続けるために大切なのは、ただ“誰かと手を繋ぎ続けること”だけではありません。自分の手で<いまできることを>つづけて、<しあわせを描いて>、<涙なんて>ぬぐってゆくこと。もし怒りや悲しみに支配され、心を見失いそうになったなら“<この手>=音楽”をつかんでみること。そうした“選ぶ強さ”もこの歌は教えてくれているのです。 選びつづけよう 誰かじゃなくて ぼくらでぼくらの道をなんども 笑えたなら そこにはもう 希望がある 優しいままでいて 歌いはじめよう ぼくらの声は 誰かを愛するためにあるんだ もう悲しみに負けないで あなたの手は ひとりじゃないんだ この世界よ 優しいままでいて 「SING!」/いきものがかり  つらいひとが、つらいひとを責めれば、それは“つらいの連鎖”になります。だけど<誰かを愛するため>の声が、<誰かを愛するため>の声と重なれば“愛の連鎖”になる。<優しいまま>の手が、<優しいまま>の手と繋がれば“優しいままの世界”が生まれる。だからどうか今日も、もっと多くの“愛の連鎖”で“優しいままの世界”が広がって欲しい。そんな願いが込められているのが、いきものがかり「SING!」です。 “ありがとう”って伝えたくて あなたを見つめるけど 繋がれた右手は 誰よりも優しく ほら この声を受けとめている 「ありがとう」/いきものがかり いつだって真ん中にあるよ たいせつなものはここにある つつむような君のその手が優しい 強く握り返すよ 「笑顔」/いきものがかり 帰りたくなったよ 君が待つ街へ かけがえのないその手に今 もう一度伝えたいから 「帰りたくなったよ」/いきものがかり 泣いて 笑って つないだこの手は 最後の瞬間まで 離しはしないで この道の先を またふたりで 歩いていこう… 歩いていこう… 「茜色の約束」/いきものがかり  これまでも、たくさんの“優しい手”を歌い続けてきた、いきものがかり。新時代・令和にもよりいっそう凜と真っ直ぐな歌声で<ぼくらの声は 誰かを愛するためにあるんだ>と、<あなたの手は ひとりじゃないんだ>と、<なんどだって伝え>続けてくれることでしょう。新章の幕開けとなる「SING!」を是非、じっくりとご堪能ください…! ◆紹介曲「 SING! 」 2019年4月1日配信 作詞:水野良樹 作曲:水野良樹 編曲:亀田誠治

    2019/04/15

  • いきものがかり
    さよならの先の“これから”を生きていくあなたへ…。
    さよならの先の“これから”を生きていくあなたへ…。

    いきものがかり

    さよならの先の“これから”を生きていくあなたへ…。

     歌ネットで現在公開中の【“胸キュン”ドラマ&映画タイアップ楽曲】特集にて、最近ヒットが続いている“人気コミック実写化映画”の主題歌に注目しております。『orange-オレンジ-』のコブクロ「未来」、『ちはやふる』(上の句・下の句)のPerfume「FLASH」、『植物図鑑』のFlower「やさしさで溢れるように」、『オオカミ少女と黒王子』のback number「僕の名前を」などなど。  そして今秋も、大人気ベストセラーコミックの実写化映画が公開!『四月は君の嘘』(9月10日公開)です。物語は、母の死を境にピアノが弾けなくなってしまった天才ピアニスト・有馬公生(山崎賢人)と、勝気で自由奔放なヴァイオリニスト・宮園かをり(広瀬すず)の出逢いからはじまります。止まっていた彼の時間が、かをりによって少しずつ動き出すのですが、実は彼女の身体は重い病に侵されているのです。優しい“嘘”に隠された、切ない真実とは…。  そんな大注目・実写化映画の主題歌を書き下ろしたのは…いきものがかり!タイトルは「ラストシーン」。8月24日に32枚目のニューシングルとしてリリースされました。メンバーの水野良樹さんは自身のTwitterで『「四月は君の嘘」の映画主題歌を担当させて頂くことが決まったあと原作をすべて読ませていただきました。宮園かをりの、あの美しい後ろ姿にずいぶん助けられて曲を書いたような気がします。「さよなら」のその向こうで生きるひとたちに、この歌がつながっていけるのなら、それ以上の願いはありません。』とコメント。 「どうしてそんな顔で 立ち止まっているの」 君ならば そんなふうに 怒って言うかな ぶつかり傷つくたびに くじけてしまいそうさ でも僕は“これから”を生きなきゃいけない かなわぬこともあったんだ やりきれない悔しさをいくつも越えたよ この街もずいぶん 変わってしまった ふたり歩いた道で 今はひとり空を見上げる 春のなかで 涙がこぼれないように 君を思い出すけど いつも笑ってるんだ 少しずるくないかなぁ ねぇ 僕はあの日から強くなった そうでもないかな 風が笑った さよなら 「ラストシーン」/いきものがかり  別れにも様々な種類がありますが、歌詞を読むと「ラストシーン」の“君”はもうこの世にはいなくなってしまったような印象を受けます。大切な人を残して逝くこと、大切な人に残されて生きること、どちらも言葉では言い表せないくらいに苦しいことでしょう。だけど残された側は、どんなサッドエンドだったとしても、まだ続いていく“アンド”を生きていかなければならないんですよね…。そんな想いを綴っているのが「ラストシーン」なんです。 涙がとまらないよ もう君に会えないんだね 一緒にすごした日が 遠いひかりになっていく ねぇ それでも僕は行かなくちゃ 君がいなくとも 明日をみつめていく 涙がとまらないよ ずっと好きだったんだ なんど春が来ても ぜんぶ忘れないから ねぇ さよならをもう伝えるよ 君だけがいない 今を生きてく 「ラストシーン」/いきものがかり  この歌には、君と過ごした時間の回想シーンや、まだひとり悲しみのなかに立ち尽くす僕の姿が多く描かれております。しかし曲が“ラストシーン”に近づくにつれ、徐々に“さよならを伝える”という覚悟を決め、最後は<君だけがいない 今を生きてく>という決意を胸に歩き出してゆくのです。大切な誰かを失って、あの日から動き出せずにいるという方。是非、このいきものがかり「ラストシーン」を聴いてみてください。そして、水野さんの言うようにこの歌が、“さよなら”の先を生きてゆくあなたに繋がっていきますように。 ◆32nd single「ラストシーン/ぼくらのゆめ」 2016年8月24日発売 ESCL-4659 ¥1,111+税 <収録曲> 1「ラストシーン」 ※映画「四月は君の嘘」主題歌 2「ぼくらのゆめ」 ※「爽健美茶」2016年キャンペーンソング 3「ラストシーン -instrumental-」 4「ぼくらのゆめ -instrumental-」

    2016/08/24

  • いきものがかり
    ドラマ主題歌「Sweet! Sweet! Music!」が歴代人気曲に認定♪
    ドラマ主題歌「Sweet! Sweet! Music!」が歴代人気曲に認定♪

    いきものがかり

    ドラマ主題歌「Sweet! Sweet! Music!」が歴代人気曲に認定♪

    人畜無害の神様 君とお嫁でサンバな皆 Summer! アイロニカルにシニカルに  シリガルなあの子みてまたよがる 大好きなことがまだしたいやいや ぶっ飛んじゃったんじゃ足んないくらいの愛をちょーだい! なんつってちょっと酔って舞って今夜もきっとハッピー 言ってんじゃん だって毎回 甘い苦いこの世界 なんちゃって今日もちょっとリッチ めくるめく魅惑の Sweet! Sweet! Music! 「Sweet! Sweet! Music!」/いきものがかり  今週、最終回を迎えるTBS系金曜ドラマ『私 結婚できないんじゃなくて、しないんです』主題歌のいきものがかり「Sweet! Sweet! Music!」がゴールドリリックとして歴代人気曲に認定されました!このドラマは“39歳・独身・容姿端麗・年収1500万”の最強恋愛弱者な主人公(中谷美紀)が、毒舌恋愛スペシャリスト(藤木直人)から“恋愛術”を学ぶスパルタラブコメディ。※ちなみにドラマ内には、男目線での【女性が学ぶべき恋愛テクニック】が多数登場し、視聴者としてもかなり勉強になります…。    そんなドラマ“できしな”の主題歌は、いきものがかりの山下穂尊さんがドラマのために書き下ろした新曲。シニカルな現実をコミカルに変えて笑い飛ばせるような歌詞&スピード感のあるノリノリなサウンドがドラマのエンディングを毎回盛り上げております!尚、この曲はいきものがかりのデビュー10周年記念日となる2016年3月15日にリリースしたベストアルバム『超いきものばかり〜てんねん記念メンバーズBESTセレクション〜」に収録。  また、いきものがかりはスペシャルイヤーを記念して、来たる6月26日に“10年分のありがとう”が詰まったスペシャル番組『超いきものバかりTV(仮)』の放送も決定しております!番組では、いきものがかりの新たな一面も多々見られるようです…!そして、歌ネットでも彼らの人気は絶大!歌詞が掲載されている全128曲中54曲が歴代人気曲に認定されているのです♪ 今日のうたコラムでは、歌詞アクセスが高い上位3曲のオススメフレーズもピックアップいたします。 墜ちていくと わかっていた  それでも 光を追い続けていくよ 飛翔(はばた)いたら 戻れないと言って$ 探したのは 白い 白い あの雲 突き抜けたら みつかると知って 振り切るほど 蒼い 蒼い あの空 蒼い 蒼い あの空 蒼い 蒼い あの空 「ブルーバード」/いきものがかり “あなたの夢”がいつからか  “ふたりの夢”に変わっていた 今日だって いつか 大切な 瞬間(おもいで) あおぞらも 泣き空も 晴れわたるように “ありがとう”って伝えたくて あなたを見つめるけど 繋がれた右手が まっすぐな想いを 不器用に伝えている 「ありがとう」/いきものがかり 他の誰でもない 誰にも負けない 声を 挙げて “わたし”を 生きていくよと 約束したんだ ひとり ひとり  ひとつ ひとつ 道を 選んだ サヨナラは悲しい言葉じゃない  それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL いつかまためぐり逢うそのときまで  忘れはしない誇りよ 友よ 空へ 「YELL」/いきものがかり  1位は「ブルーバード」、2位は「ありがとう」、3位は「YELL」でした!上位2曲はアクセス数100万回を突破し、ミリオンリリックに認定されております!現在プラチナリリックの「YELL」も約94万アクセスを記録しておりミリオン間近♪ 前述したスペシャル番組では、番組でしか見られない貴重ないきものがかりメドレーも披露されるそうです!珠玉の7曲を集めたという渾身のメドレーではどの曲が歌われるのでしょうか…気になります!    さらに、いきものがかりは、新曲「ラストシーン」が9月10日公開の映画『四月は君の嘘』(主演:広瀬すず・山?賢人)主題歌に決定!同曲はこの映画の為に書き下ろされた新曲で、あたたかいメロディと吉岡聖恵のヴォーカルがストーリーにやさしく寄り添うミディアムバラード。同曲を使用した予告映像を観るだけでも、心がキューッと切なくなります。すでに名曲の予感…。そして、この新曲「ラストシーン」と、現在“爽健美茶”2016年キャンペーンソングとしておなじみの「ぼくらのゆめ」の2曲を両A面シングルとして8月24日に発売!老若男女に愛されるいきものがかりの今後の活動から、ますます目が離せませんね♪ ◆32nd single(両A面)「ラストシーン/ぼくらのゆめ」 2016年8月24日発売 ESCL-4659 ¥1,111+税 <収録曲> 1「ラストシーン」 2「ぼくらのゆめ」 3「ラストシーン -instrumental-」 4「ぼくらのゆめ -instrumental-」

    2016/06/15

  • いきものがかり
    祝10周年!“中谷美紀”主演の大人ラブコメドラマ主題歌にも注目!
    祝10周年!“中谷美紀”主演の大人ラブコメドラマ主題歌にも注目!

    いきものがかり

    祝10周年!“中谷美紀”主演の大人ラブコメドラマ主題歌にも注目!

     デビュー丸10周年を記念して2016年3月15日にベストアルバム『超いきものばかり〜てんねん記念メンバーズBESTセレクション』をリリースしたいきものがかり!今作は、ウィークリーで初登場1位を獲得。通算8作目の首位獲得となり、自身が歴代1位記録を持つ「男女混成グループによるアルバム連続1位獲得作品数」も“8作連続”に更新し、デビュー10周年の節目を飾りました!    そんなスペシャルアニバーサリーを迎えたいきものがかりは、4月18日に放送されたスマスマの“S−Live”にもゲスト出演♪ 名曲の豪華メドレーをSMAPとのコラボで魅せてくれました。メジャーデビューシングルの「SAKURA」の冒頭は聖恵×稲垣でスタート。続いて大ヒットを記録した「ありがとう」を披露。こちらの聖恵×中居スタートも素敵でした。最後は最強の盛り上がりチューン「じょいふる」!SNSではとくに、ノリノリで歌うキムタクの笑顔をみて幸せな気持ちになったという声も多々見られました。国民的アイドル×国民的バンドのコラボ、本当に素晴らしかったですねぇ…!    さらに、いきものがかりは先週第1話がスタートしたばかりの金曜ドラマ『私結婚できないんじゃなくて、しないんです』の主題歌にも起用!このドラマでは、中谷美紀演じる“プライドの高いエリートアラフォー独身女性”が、藤木直人演じる“超ドSな毒舌恋愛スペシャリスト料理人”にスパルタ恋愛術を学んでいくという内容。【今の恋のやりとりのどこが間違いであったか】【では、何が正解なのか】というQ&Aが繰り広げられていく新感覚ドラマに、視聴者からは『めっちゃタメになる』『リアルすぎて辛い』『面白い、実践したい!』と大反響! “アンビリーバブルなるは精神です どん時のあたし見ればハッピーです?? 人畜無害の神様 君とお嫁でサンバな皆 Summer! アイロニカルにシニカルに シリガルなあの子みてまたよがる 大好きなことがまだしたいやいや ぶっ飛んじゃったんじゃ足んないくらいの愛をちょーだい! なんつってちょっと酔って舞って今夜もきっとハッピー 言ってんじゃん だって毎回 甘い苦いこの世界 なんちゃって今日もちょっとリッチ めくるめく魅惑の Sweet! Sweet! Music! Sweet! Sweet! Music!” 「Sweet!Sweet!Music!」/いきものがかり  そんな大人のラブコメディードラマの主題歌が、前述したいきものがかりのベストアルバムに収録されている新曲「Sweet!Sweet!Music!」です。同曲は、勢いのあるドラマのテンポ感にもピッタリなアゲアゲポップチューン♪ 作詞作曲はメンバーの山下穂尊が手がけました。また<どん時のあたし見ればハッピーです??><大好きなことがまだしたいやいや>と、理想の結婚に向けて奮闘しながらも、“自分らしさ”や“本当の幸せ”と向き合っていく主人公の心情もフレーズから伝わってきますね…!これからのドラマの展開にも、「Sweet!Sweet!Music!」のさらなる人気上昇にも期待大です!

    2016/04/19

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